李 道広(り どうこう、生没年不詳)は、唐代の官僚・政治家。字は太丘。本貫は滑州。
経歴
太常寺卿・隴西郡公李寛の子として生まれた。武周のとき、汴州刺史となった。突厥と契丹が河北に侵攻して陥落させたことから、河南の諸州から兵が徴募され、民情は大騒ぎとなった。道広は寛容さと厳格さを折衷させて、善政で知られ、汴州だけは民衆の逃散を引き起こさなかった。ほどなく道広は入朝して殿中監となった。万歳通天元年(696年)9月、同鳳閣鸞台平章事(宰相)となった。金城県侯に封じられた。聖暦元年(698年)1月、宰相から罷免された。のちに死去した。秦州都督の位を追贈された。諡は成といった。
子女
- 李元綜(屯田郎中、荊府長史)
- 李元繹(都水使者)
- 李元紘
- 李元緘(鄆州刺史)
脚注
伝記資料
- 『旧唐書』巻98 列伝第48
- 『新唐書』巻126 列伝第51
参考文献
- 『旧唐書』中華書局、1975年。ISBN 7-101-00319-2。
- 『新唐書』中華書局、1975年。ISBN 7-101-00320-6。




