村上 信清(むらかみ のぶきよ)は、安土桃山時代から江戸時代初期の武将。

経歴

系譜によれば信濃村上氏の一族。祖父の代より上総国久留里城に住んで古河公方・小弓公方に属し、小弓公方滅亡後は里見氏に従ったという。天文23年(1554年)後北条氏の攻撃で父・成清が敗死する。この時、真勝寺の清心法印がまだ幼い信清・行遠兄弟を助けて城を落ち延び、兄弟は安房国に走った。

後年上総に帰り、天正18年(1590年)小田原征伐の陣中で徳川家康に仕官、上総国内に300石を知行する。当初は井伊直政に属した。弟の行遠が家老を務めていた縁で里見義康への使者を務め、功があった。慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いののち、武蔵国橘樹郡長尾・上作延・下作延に200石を加増。寛永3年(1626年)77歳で死去。

脚注

出典

参考文献

  • 神奈川県企画調査部県史編集室 編『神奈川県史 資料編』 8巻、神奈川県、1976年。 
  • 濱田義一郎 編『大田南畝全集』 17巻、岩波書店、1988年。ISBN 978-4-00-091057-6。 
  • 『寛政重修諸家譜』 8巻、高柳光寿(監修)、続群書類従完成会、1965年。ISBN 978-4-7971-0212-3。 

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